今治発!
僧侶ボーカリストが、
世界へ送る癒しの歌
薬師寺寛邦 キッサコ(やくしじかんほう きっさこ)
YAKUSHIJI KANHO KISSAQUO
1979年生まれ。僧侶であり音楽家。今治市臨済宗・海禅寺の副住職。“僧侶ボーカルプロジェクト”「薬師寺寛邦 キッサコ」として、仏教の教えをわかりやすい言葉に置き換え、懐かしいポップスのメロディーとハーモニーで伝えている。
音楽と仏教を掛け合わせ、般若心経に声を重ねアレンジしたアルバム「般若心経」を2018年5月にリリース。YOUTUBEでの般若心経関連動画の総再生数は、世界で驚異の累計8000万回再生を超えている。また、アジアでの大反響を受け、2018年、2019年、日本を含む全10都市でのアジアツアーを開催、2022年には、初の東南アジアツアー、2023年5月中国、10月は初のオーストラリア公演を含むワールドツアー開催し、大好評を博す。
日本からアジア、そして世界へ、縁を繋ぎ、仏教を音に乗せ、伝え続ける。
大きな声でお経を読む父の姿が
かっこよかった
こんにちは。般若心経を歌にしてライブ活動をされているお坊さんが今治にいらっしゃると聞いて取材に伺いました。よろしくお願いいたします。
薬師寺寛邦キッサコ氏(以下、敬称略):よろしくお願いいたします。
もともとこちらの海禅寺がご実家だということは、こどものころからお寺を継ぐと思って、育ってこられたわけですか?
薬師寺:はい。もうここで生まれ育ち、高校までは今治で暮らしました。兄弟がいないので、生まれたときからここを継ぐ運命だとは思っていました。気がついたら般若心経も読めていましたし、朝、お経を読んで学校へ行くのが日常でした。
では、もうナチュラルに修行をされていたという。
薬師寺:まあ、やっぱりお寺で生活しているので、それが当たり前にはなっていましたね。小さい頃は、普通に父のようなお坊さんになりたいと思ってました。父は声が良くて、大きな声でお経を読んでいる姿がかっこいいなと思っていたし、レコードもよく聞かせてもらっていたし、音楽に関しても影響を受けています。
お父さまも歌がお上手なんですか?
薬師寺:よくカラオケで一緒に歌ったりしていました。
それで、高校以降はどういう道へ進まれたんですか?
薬師寺:その後は、京都の普通の一般大学へ行きました。佛教大学に進むという道もあって、そのままそれはもう家を継ぐということなのですが、その頃はいろんな葛藤が芽生えて、どうにかして自分の道を切り開きたいと思うようになっていました。一般の大学に受かったら行かせてくれと親に交渉して、何とか受かりまして。
その葛藤が芽生えたのは何歳ぐらいからですか?
薬師寺:たぶん、中高ぐらいですかね。何故将来が決められているのかなという疑問が生まれて。どうにかして違う自分のやりたいことを探したいという思いがあったときに、音楽が好きになって、ギターを持ち始めて、中学のときからバンドも始めました。とにかく普通の大学に行って音楽をやりたいという気持ちになりまして、それで大学はそっちのほうに行きましたね。
バンドでは、どんな曲を演奏していたのですか?
薬師寺:基本コピーですけれど、ジャンル関係なくなんでもやっていました。当時はやっぱりミスチルとか、パンクバンドもやっていたし、L’Arc~en~Cielも好きでしたし。全然バラバラですよね。もともと安全地帯が大好きだし、高校ぐらいから洋楽にハマりだして、OasisとかUKロックのほうにのめり込みました。
つらいときに手にとったのが、
禅の本だった
そこからいまのスタイルにどういうふうに行き着いたんですか?
薬師寺:これはすごく長い話で、コンパクトにまとめると、ずっと大学で音楽をやっていまして、京都のボーカルスクールで出会ったメンバーとキッサコというグループを結成したんです。3人組のボーカルグループで、気がついたら、メジャーデビューすることになりました。
それで東京に引っ越して、CDを出して、20代後半ぐらいまでやっていたんですけれど、その活動の中で、ターニングポイントがありました。そのひとつは、あるショッピングモールでライブをやっていたときのこと。故郷をテーマに歌を作っていたのですが、60代くらいのお客さんがその曲を気に入って「自分を育ててくれたおじいちゃんのことを思い出したんだ」と言ってくれたんです。自分の父が、「たとえば法事などで故人を思い出すこと、それが供養なんだよ」という話をよくしていたのですけども、自分と父は、そんなに違いがないことをやっていたんだと気づきまして。自分はそこから逃れよう逃れようとしていたはずなのに。それがまず、仏教に興味を持つ大きなきっかけになりました。
その後、メジャーデビューはしたものの、結果が全然出ずに、挫折を味わいました。自分はそれまですごく音楽が大好きだったんですけども、あるときから曲が全く書けなくなって。作る曲作る曲、ダメだダメだって言われ続けていたんですよね。自分はいったいどんな音楽を作りたかったんだろう、もともと何のために音楽をやっていたのだろうと考えるようになり、初めて音楽をやめたいと思うぐらい辛い時期でした。そのときに、ふと本屋に立ち寄って、手に取ったのが禅の本だったんです。禅の大事にしていることって、自分の心と向き合うということで、そういうことから自分は逃げていたのだと気づいたんですね。自分自身も、自分の音楽もおろそかにしてたし、それは本当に良くなかったなと。もう一度自分は何のために歌うのか、音楽を作るのかというのを、考えてみようと思ったんです。
それでメジャーをやめてインディーズに戻って、自分たちのやりたい音楽をやり始めました。そのときに、いつか仏門の修行に行ってみたいと思ったんですね。自分と向き合う大切さを教えてくれた禅の修行っていったいどんなんだろうと。それで30歳の節目で、京都の嵐山にある天龍寺へ、2年間修行に行きました。
それで東京に引っ越して、CDを出して、20代後半ぐらいまでやっていたんですけれど、その活動の中で、ターニングポイントがありました。そのひとつは、あるショッピングモールでライブをやっていたときのこと。故郷をテーマに歌を作っていたのですが、60代くらいのお客さんがその曲を気に入って「自分を育ててくれたおじいちゃんのことを思い出したんだ」と言ってくれたんです。自分の父が、「たとえば法事などで故人を思い出すこと、それが供養なんだよ」という話をよくしていたのですけども、自分と父は、そんなに違いがないことをやっていたんだと気づきまして。自分はそこから逃れよう逃れようとしていたはずなのに。それがまず、仏教に興味を持つ大きなきっかけになりました。
その後、メジャーデビューはしたものの、結果が全然出ずに、挫折を味わいました。自分はそれまですごく音楽が大好きだったんですけども、あるときから曲が全く書けなくなって。作る曲作る曲、ダメだダメだって言われ続けていたんですよね。自分はいったいどんな音楽を作りたかったんだろう、もともと何のために音楽をやっていたのだろうと考えるようになり、初めて音楽をやめたいと思うぐらい辛い時期でした。そのときに、ふと本屋に立ち寄って、手に取ったのが禅の本だったんです。禅の大事にしていることって、自分の心と向き合うということで、そういうことから自分は逃げていたのだと気づいたんですね。自分自身も、自分の音楽もおろそかにしてたし、それは本当に良くなかったなと。もう一度自分は何のために歌うのか、音楽を作るのかというのを、考えてみようと思ったんです。
それでメジャーをやめてインディーズに戻って、自分たちのやりたい音楽をやり始めました。そのときに、いつか仏門の修行に行ってみたいと思ったんですね。自分と向き合う大切さを教えてくれた禅の修行っていったいどんなんだろうと。それで30歳の節目で、京都の嵐山にある天龍寺へ、2年間修行に行きました。
2年間。本格的ですね。
薬師寺:本当に昔ながらの生活を2年間やるわけで、テレビとか冷蔵庫もないですし、新聞も2週間後の新聞がたまにやってきて、というような生活で。素足で、わらじを履いて、托鉢に行き、1日20時間ぐらいの座禅を何回かに小分けにして、それを1週間続ける「摂心」という修行があったり、ある種、極限状態をいろんなバージョンで体験させてもらったわけです。そのなかで、あるとき「あ、自分は音楽が本当に好きだったんだ」ということに気づいて。そのときは音楽はやめていたんですけども。座禅中とかでも、浮かんでくるんですよ、曲が。これは完全に雑念でしかないんですけども。でも修行中に、本当にいろんな方のおかげで自分の生活は成り立っているんだと感じて、そういうごくごく当たり前で、みんなが分かっているけれど忘れがちなことを、自分の好きな音楽でもう一回伝えたいなと思って、修行から戻って、ここで副住職をしながら、キッサコを再始動しました。
気づいたらアジアで拡散されていた
般若心経のハーモニー
薬師寺:般若心経の音楽にたどりついたのも、修行がきっかけなんです。毎朝だいたい1時間ぐらいお経を修行のメンバーで読むんですけども、そんな10人、20人という人数で読むことを今まで体験してなかったので、すごく心地良くて、エモーショナルで、心の深いところに伝わってくるんやっていうのを、毎朝思いましたね。それが印象に残っていて。コーラスグループをやっていたのでハモることも大好きで、あるとき般若心経をハーモニーにしたらどうなるんだろうと思いついたんです。それで作り始めたのが2016年です。思いはずっとあったんですけど、それをやり始めるのにだいぶ時間かかりました。やっぱりお経の形を変えてしまっていいのかなという迷いはありまして。でも家族や当時のメンバーに聞いてもらったら、「いや、これ絶対いいですよ」「めっちゃいいやん」と言ってくれまして。それで、2017年に松山市民会館でキッサコのライブをしたときに披露しました。いきなりステージに出て「摩訶般若波羅蜜多心経」って言ったんでみんなざわざわってしたんですけど、途中ぐらいから手拍子が起こって、最終的にみんな、何人かお拝んでたり、唱えてくれてる方もいたり、すごく盛り上がったんですね。
当時のファンは、そういうお寺の方だとか、そういう基礎情報は知ってたんですか?
薬師寺:知っています。もうそのころは、僧侶ともう1人のメンバー2人でやっているグループだということで、地元のテレビでも取り上げてくださっていたし、けっこう認知はされてたんです。でもお経をやったり、法衣で歌うことはそのときに初めてやりまして。その後、撮影した動画をYouTubeに上げたら、1年ぐらいはあまり動かなかったものの、2018年ぐらいから再生回数が回っていて、中国とかアジア圏にその動画が流れていって、気づいたらすごく拡散していたんです。
それまで気づいていなかったんですか?
薬師寺:アップしたのを忘れていて、全然見ていなくて。目の前のライブもありますし、普通に活動してたところへ、「なんかすごいことになってるらしい」という話を聞いて、驚きました。その後、2018年に初めてオファーいただいて、中国をツアーでまわったんです。
中国ツアーというのは、どのあたりですか?
薬師寺:そのときは、上海、広州などの中国本土を、6都市ぐらいまわったかな。あと香港と台湾も行きましたし。まさかそんなに広がるなんて思ってもみなかったんですけども、そういうきっかけがあり、いまがあるという。
中国から火がついたんですね。日本でも、けっこう話題になっていたんですか?
薬師寺:日本で動き始めたのも2018年ぐらいですね。さまざまなメディアの方も取り上げてくださって。その間も、2人組のキッサコとしてやっていたんですけども、2018年に一旦キッサコを活動休止にして、ソロ名義で活動するようになりました。
その間も般若心経はやり続けていたんですか?
薬師寺:そうですね。ライブの最初に、曲をお唱えしてスタートみたいなことをやっていました。それまでは自分のオリジナル曲をメインにやっていたんですけども、ソロになってからはその比重がちょっと変わってきて、般若心経がメインになってきていますね。
中国でウケたのはなぜだと思いますか?
薬師寺:向こうのお客さんと話す機会があったときに言われたのが、もちろん日本語で般若心経を読んでるんですけども、全く気にしてないからという話だったんです。要は、サウンドで心地いいから、般若心経とか宗教的なことはべつに気にしていないと。ただ、いまの中国って、オフィシャルには宗教とか信仰が禁止されてるんですけれども、やはり仏教が花開いた場所なので、仏教に興味を持ってる方はたくさんいらっしゃるのですが。あと、日本に対しても興味を持っている方が多くいらっしゃるのもあって、いろんな総合的な要素が合わさったのかなと思います。
なるほど。お経を歌にしているのが面白いという感じは、中国の人にはそこまで伝わってないわけですね。
薬師寺:そうですね。意味とかあんまり考えてはいないと思いますね。ただ、僧侶で自由にギターを持って、そういう活動してるっていうこと事態もありえないんですよ。中国での場合は。
見た目的にもキャッチーだったんですね。最近は、日本でもライブでまわられているんですか?
薬師寺:いや、日本は実はあまりまわっていなくて。コロナのときにライブができなかったので。ちょうど2018年、2019年と中国、台湾、香港をまわって、次の年もやるつもりだったんですけれども、コロナ禍に入って、ライブがなくなって、YouTubeなどの活動にシフトチェンジしまして。
最初に京都の一休寺というところで撮影したんですけども、2020年からミュージックビデオを、お寺のイメージでアレンジさせていただくという企画をやっていって、それがまたいろんな国の方にたぶん届いたきっかけなんじゃないかなと思いますね。日本のお寺で、般若心経の音楽のミュージックビデオを撮影して、日本の寺院の魅力とか、美しさ、仏教文化をいろんな国の方に知ってもらいたいと思って、複数のお寺にお声がけさせていただきました。
2020年からの2年間は、ほとんどそれしかできなかったのですが、そのときにわかったのが、やっぱりどの国の方も、感じていることは「癒し」だったんですね。海外からも、日本の方からも多くいただいたコメントが、「通勤途中に毎日聞いています」とか、「寝る前に聴いています、本当に癒されます」ということだったんです。日常の中に、普通に般若心経が存在できていて、そういう意義があるんだということに気付かされました。最初のアレンジはどちらかというと、ポップス寄りの結構アップテンポだったんですけども、そうしたコメントを受けて、もっとリラクゼーション向きのスローなバージョンとかも作ったり、それを生配信したりしてきました。
コロナの頃はそういう感じでやってたんですけども、ライブができるようになったときに、やっぱり動画を見てくださった人が多い国に行こうということで、今度はマレーシア、シンガポール、インドネシア、オーストラリア、台湾などにライブに行くようになりました。基本的には中華圏、中華コミュニティが多いところですけどね。やっぱり国外が中心の活動になっているのかなっていう感じですね。
最初に京都の一休寺というところで撮影したんですけども、2020年からミュージックビデオを、お寺のイメージでアレンジさせていただくという企画をやっていって、それがまたいろんな国の方にたぶん届いたきっかけなんじゃないかなと思いますね。日本のお寺で、般若心経の音楽のミュージックビデオを撮影して、日本の寺院の魅力とか、美しさ、仏教文化をいろんな国の方に知ってもらいたいと思って、複数のお寺にお声がけさせていただきました。
2020年からの2年間は、ほとんどそれしかできなかったのですが、そのときにわかったのが、やっぱりどの国の方も、感じていることは「癒し」だったんですね。海外からも、日本の方からも多くいただいたコメントが、「通勤途中に毎日聞いています」とか、「寝る前に聴いています、本当に癒されます」ということだったんです。日常の中に、普通に般若心経が存在できていて、そういう意義があるんだということに気付かされました。最初のアレンジはどちらかというと、ポップス寄りの結構アップテンポだったんですけども、そうしたコメントを受けて、もっとリラクゼーション向きのスローなバージョンとかも作ったり、それを生配信したりしてきました。
コロナの頃はそういう感じでやってたんですけども、ライブができるようになったときに、やっぱり動画を見てくださった人が多い国に行こうということで、今度はマレーシア、シンガポール、インドネシア、オーストラリア、台湾などにライブに行くようになりました。基本的には中華圏、中華コミュニティが多いところですけどね。やっぱり国外が中心の活動になっているのかなっていう感じですね。
般若心経のライブで盛り上がるというのが、ちょっと不思議な感じもしますが。般若心経のライブで盛り上がるというのが、ちょっと不思議な感じもしますが。
薬師寺:日本でもコンサートさせていただくんですが、たぶん反応がちょっと違う感じで、すごく盛り上がります。何故お経のライブでこんなに盛り上がれるのかというのは、やっぱりそれぞれの国の特性が違うというか。
ただやっぱり海外は、信仰心の強い方は多いなという印象です。しかも、若い世代、30代〜40代とか、もうちょっと下ぐらいの方でも。この間台湾でも3ヶ所行ったのですが、けっこう30代ぐらいの方も多い印象でした。日本では、お経とか仏教に興味を持つことって、よほど人生の本当に大きなターニングポイント…親との別れとか、何かそういうことがない限り、触れる機会も少ないと思うんですよね。そういう意味では、国内、国外で仏教に対しての位置づけみたいなものは、ちょっと違うような印象はありますね。
ただやっぱり海外は、信仰心の強い方は多いなという印象です。しかも、若い世代、30代〜40代とか、もうちょっと下ぐらいの方でも。この間台湾でも3ヶ所行ったのですが、けっこう30代ぐらいの方も多い印象でした。日本では、お経とか仏教に興味を持つことって、よほど人生の本当に大きなターニングポイント…親との別れとか、何かそういうことがない限り、触れる機会も少ないと思うんですよね。そういう意味では、国内、国外で仏教に対しての位置づけみたいなものは、ちょっと違うような印象はありますね。
「自分がそうしていきたいこと」に、
まっすぐ向き合う
その間、このお寺でのお仕事もされてるんですよね。
薬師寺:基本的には父が住職ですが、私も忙しいときは戻って法要をしたりっていう感じでやってます。
そこにファンが訪ねてきたりはしないんですか?
薬師寺:たまにいらっしゃる方もいますね。先日は、台湾からも来ていらっしゃる方もいました。
そういうときは、お坊さんとしてお話をされるんですか?
薬師寺:いるときは普通に話しますね。こっちは普通に話すかたちですけど。
ちょっと仏教のことは分からないんですけど、表に弘法大師さんのお名前がありましたが、こちらとは宗派違いますよね。
薬師寺:うちは臨済宗ですが、弘法大師は真言宗です。でもやっぱり四国のお寺って、遍路というものが、仏教文化の礎的なかたちで、宗派を超えてあるので。もともと、遍路自体も真言宗だけではないんですよ。臨済宗もあるし、数は少ないんですけども、宗派は限定されていないので、弘法大師とか遍路の文化は、すべてのお寺にどこか根付いてるんです。だから、お祀りしている寺院も多いのではないかなと思うんですけど。私も実は、この3年ぐらい遍路の企画として、全札所でミュージックビデオを撮るという企画をやっていまして。いま40ヶ所ぐらいは撮影が終わって、あと半分くらいになりました。
あまり宗派は気にしないんですね。そういう札所で撮るとか、お寺で撮るとかやられてるってことは、やっぱり音楽で、仏教とかお寺文化自体を広めていきたいみたいな思いもあるんですか。
薬師寺:もちろん、それがきっかけで遍路や仏教に興味を持っていただくのはすごく嬉しいことですけど、あまりそこにこだわらず、ただ、自分がやってみたいことをやっていきたいと思っていて。遍路についても、たまたまお話をいただいたのですが、自分は四国の人間なのにまったく遍路のことを知らなかったなと思って、その企画を通して自分が体感してみたいなと思ったんです。それも、全部つながっているんですけども、結局は、「自分がそうしていきたいこと」にまっすぐ向き合う。そこで、どう感じていただくのかはそれぞれだと思うんですよね。癒しを感じていただいてもいいですし、テンション上がるなと思ってもいいですし。そういうほうがいいと思うんですよね。外からどう思われるかを気にするんじゃなくて、自分がどうしたいかっていうことにフォーカスしたい。そのほうがシンプルだと思うので。
シンプルだし、伝わるってことですね。
薬師寺:伝わるのかもしれないし、それを無理して、仏教を広めたいんだ!ってやってるよりも、本当に自分がやりたい形を突き詰めたほうが、いい波が生まれるんじゃないかなと思うんです。それはたぶん、何においてもそうなんだろうなと思ってやっています。
いいお話ですね。この先は何がやりたいとかあるんですか?
薬師寺:いまずっとアルバムを作っていて、それまでずっと癒しの音楽のイメージで作ってたんですけども、ちょっと全然違う、いままでやったことない般若心経をやりたいと思って。ちょっとテンション上げたり、高揚したり。その振れ幅が多いほうが、いろんな角度からもう一回見つめ直せるんじゃないかなと思って。落ち着けるだけだと、それが逃げ場所になったりするときもあるんですよ。なんか居心地がいいっていうだけで。そうじゃなくて、いろんな角度から自分も般若心経を捉えて、それを感じてもらって、リセットしてもらって。自分はいまどういうふうに生きていきたいのかっていうことを感じてもらうきっかけの音楽としてあったらいいなと思ってるので。それは自分も含めて。
この間シングルで出したのはヒップホップなんですよ。般若心経ラップをするっていうスタイルでやったり、歌と混ぜたり、いろいろやっていきたいなと思ってますね。
この間シングルで出したのはヒップホップなんですよ。般若心経ラップをするっていうスタイルでやったり、歌と混ぜたり、いろいろやっていきたいなと思ってますね。
最後に、今治に対しての想いや、「こういうふうになってほしい」などありますか?
薬師寺:自分としてはやっぱり、いずれ住職になって、ここで地に足つけてやっていこうと思っていまして、お寺って、地域とのつながりやコミュニティを大事にしてきたものだと思うんですよね。なので、自分がここに戻ってきて、住職としてどういうふうに今治という町の中でコミュニティを作っていけるのか、どういうふうに活性化できるかということを模索してます。いままでのお寺というものは、檀家さんとお寺というコミュニティがすごく強かったんですけれど、これからはもっと檀家さんとのつながりだけじゃなく、地域とのつながりや、もっといろんなつながり…それはもしかしたら県外、国外からのつながりも、今治に呼んでくるような。そういういろんな形ができるのかもしれないなと思っているので、この活動は、自分にとってすごく大事だと思ってます。自分が生まれ、自分を育ててくれた町なので、自分の音楽の中には今治の風景がたくさんあって、その今治がより良くなれる何かができればいいなとは思っています。
ありがとうございました。
薬師寺寛邦 キッサコ公式WEBサイト
http://kanho.info
歌う僧侶 薬師寺寛邦 キッサコ(YouTube)
https://www.youtube.com/@JapaneseZenMusic
海禅寺WEBサイト
http://www.kaizenji.info/
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